カナダポップス
Canadian Pops
Bryan Adams
ブライアン・アダムス
【CD販売中】
1959年11月5日カナダ、オンタリオ州キングストンに生まれる。 両親は共にイギリス人。 大使館の移民局係の父親の仕事の関係でイギリス、ポルトガル、イスラエル、など色々な国で少年時代を過ごが、12歳の時に両親が離婚。15歳の時に母親・弟と一緒にバンクーバーに移り住む。 16歳の時にポップ・バンド、スウィーニー・トッドに参加しクラブをまわり始める。 77年、後の共同ソングライターとなるジム・ヴァランスと出会い曲作りを開始。 79年、カナダのA&Mとソングライターとして契約を結び、その後シンガーとしてもアーティスト契約をする。 デビュー・シングル「LetMe Take You Dancing」はカナダのシングル・チャートで1位を獲得。 80年2月、ファースト『Give Me Your Love』を発表、カナダではスマッシュ・ヒットを記録。 81年6月、セカンドアルバム『You Want It You Got It』(日本ではJealousy)を発表、全米118位。 82年 世界歌謡祭参加のため初来日を果す。 83年1月、3枚目のアルバム『Cuts Like A Knife』発表し、5月に上記アルバムからの1stシングル「Straight From The Heart」が全米10位を記録し、全米だけで250万枚以上のセールスを記録した。 その後11ヶ国、6週間にわたるヨーロッパ・ツアー開始。 10月、上記アルバムからの3枚目のシングル「This Time」が全米24位記録、この年初めてジャパン・ツアーを行う(東京2回、大阪1回公演)。 12月、カナダのジュノー賞(カナダ版グラミー賞)で最優秀男性ヴォーカリスト受賞。 84年11月、4枚目のアルバム『Reckless』を発表。 翌年初の1位を獲得。 12月、ジュノー賞で男性ヴォーカリスト、アルバム・プロデューサー、コンポーザーの最優秀賞受賞。 1年間のワールド・ツアーをシカゴから開始。 85年1月、ファーストシシングル「Run To You」が全米6位記録。 2月、ロサンゼルス市長が2月1日を“Bryan Adams Day”と認定。 カナダのトップ・アーティストによるアフリカ飢餓救済プロジェクト“ノーザン・ライツ”に初参加。 4月、3枚目のシングル「Heaven」が初の全米No.1となる。 7月、ライヴ・エイドに出演。 8月、アルバム『Reckless』が全米No.1を獲得。 全米だけで400万枚、全世界で1000万枚のセールスを記録。 4枚目のシングル「Summer Of ‘69」全米5位。 10月、トロントでハロルド・ムーン大賞作曲賞受賞。 2度目のジャパン・ツアーを行う(東京3回、大阪2回公演)。 11月、5枚目のシングル「One Night Love Affair」が全米13位を記録。 ジュノー賞で男性ヴォーカリスト、アルバム、ソングライターの最優秀賞受賞。 ダイヤモンド・ディスク(カナダ)に輝く。 85年度のビルボード誌で男性シングル・アーティスト部門第1位に選ばれる。 86年1月、6枚目のシングル「It’s Only Love」が全米15位を記録。 2月にはグラミー賞2部門にノミネートされる。 9月、「It’sOnly Love」がMTV 大賞のベスト・ライヴ・パフォーマンス賞に輝く。 11月、ジュノー賞で最優秀男性ヴォーカリスト賞に輝く。 87年3月、5枚目のアルバム『Into The Fire』を発表、全米のみで150万枚のセールスを記録する。 11月、ジュノー賞で男性ヴォーカリスト、エンターテイナーの最優秀賞受賞。 88年1月には日本のみで『Hits On Fire』を発売、3度目のジャパン・ツアー(東京5回・大阪2回・横浜・名古屋・静岡各1公演)を行う。 10月にはクリント・イーストウッド主演映画「ピンク・キャデラック」にガソリンスタンドマン役で出演。 89年12月には初のライヴアルバム『LIVE! LIVE! LIVE!』を日本のみでリリースし、大晦日に東京ドームで行われたイベントにも出演。 91年7月、ケビン・コスナー出演映画「ロビン・フッド」の主題歌「(Everything I Do) I Do It For You」が全米で7週連続、全英で前代未聞の16週連続No.1に輝きギネスブックに載る。 その後カナダ、オーストラリア、イタリア等各国でも爆発的なヒットを記録し、全世界で1300万枚以上のセールスを記録。 9月、6thアルバム『Waking Up The Neighbors』を発表。 12月、91年度のビルボード誌で「(Everything I Do) I Do It For You」が年間ホット100シングル、ワールド・シングル、アダルト・コンテンポラリー・シングル部門及び、男性シングル・アーティスト部門の第1位に選ばれる。 92年1月、アメリカン・ミュージック・アワードで「(Everything I Do) I Do It For You」が年間最優秀シングル賞を受賞。 2月、グラミー賞で6部門にノミネート、ベスト映画主題歌賞受賞。 4度目のジャパン・ツアー(東京4回・大阪2回・仙台・横浜・名古屋各1回公演)を行う。 93年11月、初のベスト・アルバム『So Far So Good』をリリース。 94年3月、Video「So Far So Good」を発表。テノール歌手“ルチアーノ・パヴァロッティ”と共演。 「All For Love」が3週連続全米1位になる。 95年 「Have You Ever Really Loved A Woman?」が5週連続全米1位。 96年6月、8枚目アルバム『18 Till I Die』を発表。 97年3月、「18 till I Die Japan Tour」を行う。 12月、アルバム『MTV Unplugged』を発表。 98年 10月、10枚目のアルバム『On A Day Like Today』を発表。 99年11月、2枚目のベスト・アルバム『The Best Of Me』を発表。 2000年6月、「The Best Of Me Japan Tour」(東京2回・大阪2回・名古屋・福岡各1回公演)を行う。 2002年5月、オリジナル・サウンドトラック『Sprit : Stallion Of The Cimarron』を発表。
Celine Dion
セリーヌ・ディオン
【CD販売中】
1968年3月30日、ケベック州モントリオールから東へ約50キロのところにあるCharlemagneというフランス語圏の小さな町に14人兄弟の末っ子として生まれる。 両親はフォークミュージシャンで、家族全員が音楽一家の中で育ち、セリーヌ自身も5歳よりライブパフォーマンスを開始。 12歳の時母親が彼女の才能に気付き、自作曲でセリーヌのデモテープを作成、ケベックの有名プロデューサー兼マネージャー(現在のセリーヌの夫でありマネージャー)のレネ・アンジェリル氏に送ったところ、彼はすぐにセリーヌの将来性を見抜き、契約を結ぶ。 81年1月、レネは自宅を抵当に入れてまで費用を捻出しセリーヌのデビュー・アルバム"D'Amaur Ou D'Amitie"を制作。 このアルバムは、カナダ、フランスでゴールドディスクを記録。 82年初来日、東京で行われたヤマハ世界音楽祭で金賞を受賞。 ケベックではスタジアムに7万人の観客を動員し、パリのオリンピア劇場に最年少での出場記録を残す。 アイルランド、ダブリンで行われたユーロビジョン・ソングコンテストで優勝、エルトン・ジョンの称賛を受ける。 モントリオールのセントデニスシアターでは42回のソールドアウトの記録を打ち立て、フェリックス賞を15個受賞。 この年カナダ・ソニーミュージックから初のアルバム"Incognito"を発表(日本未発表)。 カナダヒットチャートにおいて5曲連続のシングルNO.1ヒット、40万枚以上のセールスを記録。 89年、ジュノー・アワードに出席、ヴィット・フォスターの勧めもあり、毎日8時間ベルリッツの特訓コースに2ヵ月間通い英語を取得。 90年10月、ついにアルバム"Unison"でインターナショナルデビューを果たす事となる。 このアルバムはカナダで4度のプラチナアルバムに輝いた。 95年1月、イギリスでシングル"Think Twice"がシングルチャートで1位を獲得。 同年フランス語アルバム"D'eux"を発表。 このアルバムはフランスでレコード業界始まって以来の最高記録を樹立した。 日本のみで10月にフジテレビ系ドラマ『恋人よ』主題歌"To Love You More"を発売。 この曲はオリコンで4週間にわたりNO.1に輝き130万枚を超えるヒットとなり、洋楽のナンバーワンとしては12年振りの記録を樹立した。 96年3月、4枚目の英語アルバム"Falling Into You"を発売。 カナダツアー、アメリカツアー開始。 その後7月16日にアトランタ・オリンピック開会式でテーマ曲"The Power Of The Dream"を熱唱。 97年2月、2度目の来日公演を行う。 グラミー賞、総合部門、ポップス部門を受賞し、ジュノーアワードではベストアルバム賞、ベスト女性ヴォーカル賞など4部門を受賞、さらにワールドミュージックアワードで最優秀歌唱賞などを受賞。 同年11月、待望の5枚目の英語アルバム"Let's Talk About Love"を発表。 日本ではこのアルバムの先行シングルとしてフジテレビ系ドラマ『イブ』の主題歌"Be The Man"が発売された。 このシングルのカップリングでは日本語も披露。 98年1月、日本で5枚目のアルバムから映画『タイタニック』の主題歌"My Heart Will Go On"を発売。 この曲によりセリーヌはゴールデングローブ賞で最優秀主題歌賞、アメリカンミュージックアワードでポップ/ロック部門を受賞。 3月、アカデミー主題歌賞を受賞、日本のゴールドディスク大賞ではベストインターナショナル、ポップアルバムオブ・イヤーに輝いた。 日本では"Let's Talk About Love"が100万枚のセールスを記録。 5月、ワールドミュージックアワードで最優秀歌唱賞を受賞。 6月、リベリアの子供たちの為のチャリティイベントを開催。 7月、日本のTV番組『HEY! HEY! HEY!』に出演。 9月、カナダなどで3枚目のフランス語アルバム"S'il Suffisait D'Aiamer"を発表。
Alanis Morissett
アラニス・モリセット
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95年「ユー・オウタ・ノウ」でセンセーショナルなデビューを果たし、マヴェリックレコ−ドからの1stアルバム『ジャグド・リトル・ピル』が全世界で2,800万枚を超えるセールスを記録、翌96年のグラミーでは何と4部門を受賞したのを始め、全世界のメジャーなアワードを総ナメにし、たった1枚のアルバムで全世界を制覇した。 99年には2ndアルバム『サポーズド・フォーマー・インファチュエイション・ジャンキー』はビルボードアルバムチャートで女性アーティストとして発売1週目の過去最高売り上げをたたき出し、全世界で700万枚を超えるセールスを記録した。 映画「シティ・オブ・エンジェル」の主題歌「アンインバイテッド」も98年のグラミー賞で2部門を記録している。 99年にはMTVの人気番組MTVアンプラグドのフィナーレを飾る事にもなった『MTV アンプラグド』をリリースし、その後、2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロ事件の直後、アラニスは「ユートピア」をホームページ上で発表、世界を癒したのだった。 その後、この「ユートピア」は2002年にリリースされた『アンダー・ラグ・スウェプト』のラストに収録され、大きな話題になった。 常に自分自身をさらけ出し、“真実”を歌い、オーディエンスとコミュニケーションを図る事で自分自身のセラピーにさえしてしまうアラニス・モリセット。 デビューから一貫した姿勢で同世代の共感を得たそのミュージックスタイルでのアラニスの成功劇はポップス/ロックシーンの可能性を大きく広げただけでなく、女性ヴォーカリストの地位を大きく押し上げた。
Lilix
リリックス
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カナダ西部に位置するブリティッシュ・コロンビア州の緑に囲まれた小さな町、クランブルック出身のターシャとレイシーのイヴィン姉妹とクラスメイトのルイーズでバンドを結成。 音楽好きの父親の影響でターシャとレイシーはようやくギターを自分で支えられるようになる年齢になると楽器を演奏し始め、70年代のロックを聴き曲を書いて遊んでいた。 97年、ターシャが11歳になる頃、クラスメイトだったルイーズを学校の図書室で誘ってバンドを結成。 イヴィン家の地下室で曲を作り練習を重ねていた。 地元のクラブでライブをやるようになってから約2年半後、2000年夏に現在のマネージャーがマーネジメントを開始し、デモテープを作成。 このデモテープを受けとったマドンナレーベルのマヴェリックレコードはすぐさまバンドをLAに呼び寄せる。 ズラリと並んだエクゼクティヴ達の前でアコースティックパフォーマンスを披露し、マドンナ本人との面接も行ったリリックスは2001年5月、晴れて契約を獲得した。 2001年、オリジナルメンバーのドラマーがバンドを離れたため、バンクーバーでオーディションを行い、2002年9月にキムが新しいメンバーとして加入した。
Avril lavigne
アヴリル・ラヴィーン
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1984年9月27日、オンタリオ州にある人口5000人の小さな村、ナパニーに生まれる。 2歳になる頃にはその声とキャラクターで周囲の人々を驚かせるようになっていた。 授業中に落ち着いて座っている事ができなかったというアヴリルだが、「自分はミュージシャンになるんだってずっと思ってた。 すごく小さいころからベッドの上で自分がステージで何千人の前で歌ってるのを想像して目いっぱい歌ってたわ」という通り、強い決意と自信を持ち続けた彼女は教会でゴスペルを歌ったり、カントリーを歌ったり、タレントショーに出たりと歌うチャンスのあるところでパフォーマンスを続けた。 より自分のスキルを磨くためにニューヨークへと旅立ち、そこでまたとないチャンスが訪れる。 彼女に注目したアリスタレコードのスタッフが社長であるアントニオ・LA・リードにアヴリルを紹介。 LA・リードの前でパフォーマンスをした彼女をLAは一発で気に入り、即アリスタとアーティスト契約となった。 デビューアルバム制作のためニューヨークへと移住したが、曲を作るために用意されたソングライター、プロデューサーたちとの作業はアヴリルにとって非常にストレスのたまるものであったという。 「どの曲も私を表現している曲じゃなかった。 さらに他の人達に曲を書いてもらおうってアイデアもあったんだけど私はどうしても自分で曲を書きたかったからあきらめなかった」と語るアヴリルは気分転換のためにロスへと移る。 そこで彼女はプロデューサー/ソングライターのクリフ・マグネスと出会う。 「やっと私にぴったりの人を見つけた!って感じだったわ。 彼は私の事をすごく理解してくれて、私に主導権を与えてくれたの」。 こうして完成したデビューアルバム『Let Go』からのファーストシングル「Complicated」はリリースされるやいなや世界中で大ヒット。 アルバムも世界各国で瞬く間にプラチナを獲得する。 さらにこのアルバムからは彼女の代表曲ともなった「Sk8er Boi」や「I’m With You」「Losing Grip」と1年以上に渡り次々とヒット曲が生まれて行った。 アルバムのリリース以来、アヴリルは北米はもちろん、ヨーロッパ・日本・アジアと世界中を休みなくツアー、その結果アルバムは全世界で2000万枚ものセールスを記録。 2003年1月からはGOB、シンプル・プランと共に初のヘッドライナーツアーである”Try To Shut Me Up Tour”をスタート。 ヨーロッパ・北米などをまわり、そのアヴリルらしいシンプルでストレートなステージにより各地でソールドアウトを続出。 2003年5月にはついに初の来日公演が実現し、東京・大阪でコンサートを行い、新人でいきなり武道館公演という快挙を達成した。
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