旧ユーゴスラビア連邦のサラエボ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ首都)で生まれる。 セルビア人の父と クロアチア人の母を持つ。 名前の「ヤドランカ」とはセルビア・クロアチア語で「アドリア海の子」という 意味。 生後まもなく両親が離婚したため、アドリア海に面したドゥブロヴニクの 祖父母の元で育つ。 1966年、16歳の時にドイツに住んでいた叔父のジャズグループに加わり、ベースとボーカルを担当。 フランク・シナトラ、ダイアナ・ロスら豪華共演者と共にベトナム兵のための音楽慰安活動を開始し、 音楽活動の第一歩を踏み出す。 帰国後21歳の時にフィロゾフスキー大学で心理学を専攻し、大学 卒業後更にサラエボ国立美術大学で絵画を学ぶ。 1984年にはサラエボ冬季オリンピックで公式 テーマ曲を作詞・作曲、自ら歌い、旧ユーゴを代表する国民的歌手となる。 旧ユーゴ国内で300万枚の ヒットを飛ばし、同年ユーゴスラビア芸術大賞を受賞後、初来日を果たす。 以前から日本の浮世絵や 俳句に強い関心を抱き1988年にアルバムのレコーディングのために来日するが、この途中で旧ユーゴの 血で血を洗う泥沼の内戦が勃発、祖国が消滅したためボスニアへの帰国が事実上不可能となり、以降 日本を拠点に活動するようになった。 ユーゴ紛争で一番被害が大きかったボスニアでは、犠牲者を葬る 場所がなかったため、ヤドランカが歌ったオリンピックスタジアムは現在巨大な墓場と化している。 ボスニアは古くから異文化、異民族、複数の宗教が複雑に入り交じる地域であり、第一次世界大戦 開戦のきっかけともなったオーストリア皇太子暗殺の地としても有名である。 現在はNATOの統治下 にあり、各民族ごとにセルビア、クロアチア、 ムスリムの3つの共和国に事実上分断されており、 終戦後10年以上が経過した今でも各民族の融和は難しいと言われている。 1994年新潟県で開催 された大規模イベント「旧ユーゴスラビア難民チャリティーコンサート」に出演。 近年ではボスニアの 平和もある程度回復し、2001年には故郷サラエボで念願のコンサートを開催した。 2006年に ユネスコの協力によりボスニア地、旧ユーゴでのコンサートを行った。 来日前にヤドランカが旧ユーゴで発表した作品はシングル15枚、アルバム6枚、旧ソ連ではシングル1枚、 ドキュメント映画用に2曲、劇場映画用に3曲を提供、日本で発売したアルバムは「サラエボのバラード」 「ベイビーユニバース」 「MOON WILL GUIDE YOU」他、アルバム7枚、シングル7枚となっている。 この他にもNHK教育「あつまれジャンケンポン」主題歌やTBS「神々の詩」の挿入歌、ベネッセ 「こどもチャレンジ」のCMソング、NHKスペシャル「ローマ帝国」の挿入歌も手がけている。 2001年 には坂本龍一が呼びかけた「地雷ZERO」キャンペーンにもボーカリストとして参加、TBSの「Nwes 23」にも 出演し注目を集める。 ライブでは民謡をアレンジした曲もあり、ギターの他にもペルシャから伝わった琵琶に 似たボスニアの民族楽器「サズ」を弾きながら歌っている。 旧ユーゴ、日本以外での活動も多く、 これまでにノルウェー、スウェーデン、ドイツ、スペイン、スイス、オランダ、アルジェリア、アイルランド、 旧ソ連でも様々なイベントに参加している。 現在ミュージシャン以外でも画家としても活躍中で、日本各地の小学校他で精力的に活動を行なって いる。 子どもたちと一緒に描いた絵の展覧会を東京のP3で開いた他、アムネスティインターナショナルの ステイショナリーのイラストも手がけている。 画家としての活動は【絵画教室】を参照。 ミニアルバム「ひとり」は、イラク戦争に触発されて作られた英語曲「The Star is Watching」、母国語である セルビア・クロアチア語で歌った曲「予感」、佐良直美の ヒット曲「いいじゃないの幸せならば」、坂本九の 代表作「上を向いて歩こう」、奄美の島唄「千鳥浜」の日本語曲を中心に、世界的歌手ヤドランカならではの 出来栄えとなっている。 2006年10月には世界的アコーディオニストcobaプロデュースにより 「tamamoe」を発表、この楽曲は2007年1月に全国で封切りされた映画「魂萌え!」の主題歌となった。 |
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